竹内流備中伝 中野・音羽稽古 2019.6.22 捕手は相手の時間に入る
中野では、表斉手、裏斉手、前斉手を稽古したのち、 打拳基本、受身、体術(捕手中)を稽古。その後、棒術、小具足腰之廻を稽古。
午後の音羽では、短刀取、白刃取を稽古したほか、類似技である小具足腰之廻の刀落手(表、小裏、裏)、柄砕、五件之捕手を稽古。
捕手と破手の違いは、○が先に技を仕掛けるか、○が△の動きに反応して技を仕掛けるかである。外見上、同じ動きの技に見えても相手にとっては見え方が異なる。
下記は久勝元和8年(1623)の巻物であるが、この奥意書きに非常に興味深いことが書かれている。
一部誤訳があるかもしれませんが、大意は次の通り。
『(以上)右が小具足腰之廻25箇条、家伝の捕手5件です。わが親久盛は幼き頃より時間を抛ち武道に専念し様々な鍛錬をしました。更に、他流の捕手柔術を数百流学びましたが、特別珍しい物はなく、ああ、愚かしくも繋がれた犬が柱を廻るが如くの有り様でした。つらつらと事の意(こころ)を考えると、家伝の捕手5箇条は、異国樊張の術理を超えるものであるからです。』
つまり、技数を超越したものが、五件之捕手にあると言っています。備中伝では、それが捕手と破手の違いに反映されています。
次のくだりは、下記の宇城憲治先生のサイト https://www.uk-jj.com/ki からの引用ですが、竹内流備中伝で使う捕手の概念を別の言葉で的確に表現しているのではないかとかねがねから思っています。
『意識と無意識の世界を描いた『マインド・タイム』(脳と意識の時間)の著者ベンジャミン・リベットは、人の行動においてゼロから0.5秒の間は人間が意識できない無意識の世界であるとし、それを実験で証明しており、行動は、0.2秒後から始まるが、それを自覚できるのは、0.5秒後と述べている。以上から以下の仮説が可能となる。
「気」は、この0.2秒より以前の無意識の世界にはいりこむ時間をもつと考える。すなわち同じ時間同士であると、接触点に衝突がおきる現象も、相手の何万倍のスピードで相手のなかに入り込むと、相手は事の起こりをキャッチできず、反応不能となり結果、無力化され調和されていくという現象が起きると考える。
すなわち、相手の意識する以前の無意識の世界で発せられている、波長を感知し、相手の事の起こりを見ているといえる。このことは、「気」が時間に働きかけ、スピードを変えているということが言えるのである。』
竹内流備中伝では、気や合気という直接的な表現をすることはないため、行間を読むことになることになるが、相手の意識の起こりを「気」とするならば、それを注意して捉えよということは常にいわれる。
何時目付手之内随分御油断無様
というのは、人だけでなく周囲に対する善管注意意識であり、
そうしたものは、全て手取り足取り
教えられるものではないため、
空々寂々以心伝心となる。
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