#竹内流 #中興の祖 #池内雅門太 先生を偲ぶ #東京 #竹内流備中伝 #日野道場 #稽古 31.4.8

始礼、打拳基本、受身に続いて、
捕手前、作州居合、剣棒術、小具足腰之廻を稽古。少年部を終えて半棒、小具足腰之廻を稽古。
健全な青少年を育成するには、身体や技を鍛えるだけでなく、健全な心、精神を養成する必要がある。

竹内流の中興の祖といわれた池内雅門太は、8代目宗家久愛(1790-1836)が45歳の若さで亡くなった難局において、武術指南を行なっていた淡路 洲本から本家道場に召喚され、15歳の久雄、7歳の久種に家法流儀の奥義を伝授した。

池内雅門太は7代目宗家久孝(1760-1825)から秘法を伝授され、印可を授かっていた(1823)。雅門太は竹内家への恩義に報い道統を継承するため、淡路 洲本藩主稲田氏の許しを得て、1837年に竹内道場に戻り、久雄や久種の指導養育に約13年間当たった。

宗家の嫡男とはいえ、日野の少年と同じ年頃の15歳やまだ7歳の少年に家法の流儀の奥義を伝えるのは、伝える側、伝えられる側の双方にとって相当に重圧のある責務であった。またこの間、雅門太は、流祖久盛(1503-1595)より受け継がれた秘伝文書、兵法書、武芸書など、莫大な資料を書写した。この中には、二代目久勝(1567-1663)が定めた「掟」や仁義礼智心といった「五徳の常」を歌った「心要歌」、三代目久吉(1603-1671)、四代目久次(1642-1723)が記した「三徳抄」(1701)などがある。また、竹内流の技に底流する精神や心を少年に理解しやすいように、「兵法初心手引草」や「杖印可秘伝」などを自ら記すなどして、噛み砕いて教え、流儀を伝え残した。

竹内流の一門一族は雅門太に竹内姓を授け、雅門太は家督を継ぎ9代目竹内藤一郎久居(n.a-1850)となる。
 
また、雅門太の後見により流儀の奥義を極めた久雄が10代目宗家を継ぎ、久種は分家となる相伝家の当主となって藤十郎を名乗る。以後、相伝家の当主は藤十郎を代々襲名することになる。
 
剣棒術に「鷲之羽返」という技がある。棒を鷲の羽のようにしなやかに強く動かすという意味での名前であるが、鷲が飛んできて水面に影が映るように、我が心の鏡に相手の動きを映して同時に反応するという意味でもある。雅門太は、この技を「鳶之羽帰」とも云った。「トビが獲物を捕らえるために地上や水面に舞い降り、舞い上がる時の羽の動きと同じですよ」と鷲を見たことがない少年に近場で鷲に餌をやりながら、動物の生態や動きを教え、身近なもので置き換えて考え、説明することなどの工夫をしていたと想像される。

東京 竹内流備中伝 Tokyo takenouchi ryu Bitchuden

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