#竹内流備中伝 #日本人の座り方 #矢田部英正先生 #正座偶像論 2021.1.27
竹内流備中伝には数々の技があるとともに、適時適正な礼法がある。正座、蹲踞、跪座、片膝座。座り方を考察するだけでも面白い。
この本の第四章では、正座偶像論と題されており、明治時代以前は、全ての人がかなりの自由度を持って座っていたことが書かれており、かしこまって座る正座が正規の座り方ではない事を教えてくれている。
江戸時代までは、女性も立て膝に崩すなど、座り方の自由が残されていた。
正座だけが作法であるという常識は、
明治時代からの礼法教育が深く関わっている、とある。
明治時代の礼法教育の教科書となった「小学諸礼式」の礼法は室町足利氏由来のものを踏襲しており、明治時代に小笠原家が普及させた礼法も、その抜粋を公教育に移植したものといえる、という。
小笠原礼法は、華族皇族に接する機会には重用されたが、一般には反発が見られたという。
小笠原礼法と教育現場で児童に教える礼法との乖離。
明治期の礼法教科書は、正座以外の座り方を教えていない。
一方で、この頃、正座という統一された呼称はなく、万人共通の「正しい礼法」になるほどまでには普及していなかった。
大正期になると正座の呼称も普及したほか、
跪座、安座など他の座り方が礼法書に記載された。
夏目漱石は『我が輩は猫である』にて、
正座している主人のことを、
「かしこまって居るのが主人」と
描いている(猫🐱目線)。
「正座」は近代の言葉で、
「かしこまる」「端座」と言った言葉遣いの方が古風に感じるというのも頷ける。
正座と言う言葉は、近代以降、
日本人の坐の概念を支配し続けてきた
偶像ではないか。
「作法」や「型」は大事な無形文化日本人違いないが、格式の高い「型」を遵守することと、そして双方の揺れ幅を許容する懐の深さが社会常識にも加わるときに、文化はより豊かな彩りを増していく。
昔の人の足首や股関節は柔軟だった。
大日如来の座り姿は、
たしかに美しい。
正座のことは、あえて端座といいたい。
膝を痛めるほどの端座は控えたい。
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