withコロナ、毒を制する思いで小太刀を削り出した
小具足腰之廻の稽古に使う小太刀は、平時なら時間がおしくて武道具店で特注するが、コロナ緊急事態で時間がある今なら作れると思い、型紙を頼りに小太刀を二振り削り出してみた。電動工具を使わずに、鋸、万力、ナイフやヤスリなどの道具で。
また、withコロナを見据えて、摩利支天の梵字であるマを彫り朱を施した。マリシの原語のMarīcīは、太陽や月の光線を意味し、摩利支天は陽炎を神格化したもの。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
密教や仏教では、生老病死苦、喜怒哀楽や愛憎、煩悩と解脱など相容れないものと共存して生き抜くために、工夫をするという発想がある。
竹内流備中伝の中にもそうした、生死、活殺を制する発想や毒で毒を制する発想がある。竹内久盛が修験者である山伏に出会い、小具足の術を教わった時の場面を「岡山の奇人変人」(岡山文庫74 蓬郷 巌編)から抜書きしてみる。
(前略)すると老翁は、カヅラを切って長さ七尺五寸(約2.3m)の捕縄とし、シキミの枝を切って一尺二寸(約36cm)の木刀を作った。一説には久盛の二尺四寸の木刀を真二つに折って一尺二寸の木刀にしたとも伝えられる。そして、その二つだけの武器を使って「小具足」の術を教え、迅縄という捕縛の法を授け「練磨また練磨」と言い残して、その姿を消した。(後略)・・・とある。
この他、系書古語伝や作陽誌にもこのくだりが記されている。
この久盛と山伏の出会いの場面で、山伏は、青葉の付いた樒の小枝を払い生木を尺二寸に切って木刀に代える。また、葛藟(かつるい、クズやフジカズラなどつる草の総称)を捕縄(索)に代える。また、「長きに益なし」といい長刀への執着を捨てて、二つ折りした小太刀と樒柯の短棒、短い二つの武器を作り、小具足腰之廻の型を教える。その中で、相手の殺意を無効化し、絡めて縄で活け捕りにする活殺術を教える。
また、樒の毒を藤の毒で絡め取り代謝することなども教える(アニメ鬼滅の刃では鬼の毒を藤の毒で制していたが発想は類似)。
今後、コロナウィルスと共生する工夫が必要になる。不動明王やその化身とされる飯綱権現が手にする剣と縄(索)、樒と藤の関係のように、コロナウィルスには石鹸水や三密を避ける時空間、換気などが有効になる。また、コロナは血栓を組成するとの報告もあるため、血流や代謝を常に整える工夫も必要になる。秘薬(デムデシビルやアビガン、エクモ)の存在は知りつつも日常で出来ることを組み合わせることで、出来る事は沢山ある。
身の廻りには、対極にある特性を知れば、互いを制する工夫ができるものがある。
昨日5月5日は一ノ瀬落城の日。尾根伝いを生き延びた久盛は、一族郎党を生かすために、走りながら諦めずに生き続ける方法を模索し続けたに違いない。
そんなことも思いつつ、今後コロナと闘いながら生き残る工夫を重ねながら、日常を取り戻していくも武術の心得、修行、極意向上の心意気と思いたい。
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