May9.2019 西行の早業、鴨之入首
西行(1118-1190)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士、僧侶、歌人であり、江戸時代の歌人 芭蕉が師と仰いだ人物である。平将門の乱を平定した藤原秀郷(通称 俵藤太)の嫡流で秀郷から9代目にあたる。
その西行が、竹内流の起流(1532)の約400年も前に山歌集で次の歌を詠んでいる。
もののふの ならすすさびは おびただし あけとのしさり かもの入くび
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(岩波文庫山家集 173P 雑歌)
○もののふ
武士のこと。ここでは武芸家?
○すさび
心のおもむくままに物事をすること。
○あけとのしさり
不明。武道の技の名称の可能性あり。
○かもの入くび
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相撲の技の一つ。首を相手の脇の下に入れて反り返るように攻める技。
新潮古典集成山家集では以下のようになっています。
もののふの 馴らすすさみは 面立たし あちその退り 鴨の入首
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◇すさみ=物事の勢いに乗ずること。
◇面立たし=名誉なこと。光栄なこと。
◇あちその退り 鴨の入首=意味不明
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であるが、馬の訓練の方法の呼称か。
(歌の解釈)
『武士が勢いに乗ってする訓練はまことに面目あることだ。「あちその退り」や「鴨の入首」など。』
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(新潮古典集成山家集から抜粋)
『武士が訓練する術はおびただしくある。あげどのしさり かもの入れくび、
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などはその一例である。』
(渡部保氏著「西行山家集全注解」から抜粋)
『武芸家というものは普段から大変な技を手慰みのようにこなしているものだ。あけとの退りとか鴨の入首と
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か、跳(と)んだり跳(は)ねたり、反り返ったり。』
(和歌文学大系21から抜粋)
作家の火坂雅志氏は、鴨之入首は、
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竹内流の鴨之入首と類似する技ではな
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いかとその著者(『桜と刀 俗人西行』または『西行その聖と俗 』)で推論している。
小具足腰之廻の鴨之入首の基本的な型は、相手の手を首の後で切離して止める型であるが、この型のバリエーションの中には、上記の相撲の絵の態勢から相手の首を極めたり(フロントチョークに類似)、そのまま俵返(フロント・ネックチャンスリードロップに類似)に返して引外に極める形もある。
フロント・ネックチャンスリードロップ
俵返 竹内流備中伝
組討 引外
初代 竹内久盛に小具足腰之廻、五件之捕手と捕縄を教えたのは山伏である。2代目竹内久勝に必勝五カ条を教えたのも山伏である。だが、この山伏は同一人物ではなく世代や地域を超えた複数の人物の可能性があり、役小角を発祥とする山伏集団というべきかもしれない。
竹内流以前に存在していた武術(角力、手乞、忍など)はその技術体系が成文化されていないだけで、数多く存在していた。
『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)には、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の相撲が見られる。
また、山伏集団は各時代における先端技術(呪術、医学、薬学、化学、鉱山開発、冶金、金属工芸など)とともに武術も身につけていた集団と考えられる。
下記は、美作の山伏、修験者はたたら製鉄に深く関与していたというお話。
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