#生殺与奪の権 と #最強の柔道家木村政彦先生 2013.3.13
生殺与奪
という厳しい言葉がある。
生かすも殺すも、与えることも奪うことも自分の思うままになること。絶対的な権力を握っていることをいう。
出典は『荀子(じゅんし)』王制(おうせい)。句例 生殺与奪の権を振るう用例
「三百の諸侯各一政府を設け、君臣上下の分を明あきらかにして生殺与奪の権を執り、その堅固なることこれを万歳に伝うべきが如ごとくなりしもの」<福沢諭吉・文明論之概略>
最近では、鬼滅の刃で水柱の冨岡義勇が炭治郎に向けて発した言葉が記憶に残っている。
水柱 冨岡義勇
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」
という著書にもこの言葉が出てくる。
この著書は、柔道七帝大戦を闘った著書の増田俊也氏が、巌流島というプロレス試合において、柔道界では史上最強であったと考えられる木村政彦が、力道山によるブック(プロレスの台本)破りで、KOされた事を擁護する立場から書き始められた著書である。
熊本では、木村又蔵を師として竹内三統流を稽古していた木村政彦である。竹内流備中伝を稽古している者としても、近しく感じざるを得ない。
木村政彦は、プロレス試合を行う際に、力道山と交わした契約や台本がなければ、また、試合に向けて体調管理をしていたら、KOは避けられたのではないかと言った仮の話はできる。
エリオ・グレイシーを破った木村政彦と力道山との試合ビデオを見たヒクソン・グレイシーは、『木村政彦はリングに上がるべきではなかった』とコメントしている。
豪放磊落な性格の木村政彦であり、
シャープ兄弟相手のプロレス試合では、
負け役を演出し力道山を引き立てた。
柔道試合で柔道をやれば力道山には済々と勝てたかもしれないが、プロレス試合の契約をしてリングに上がった時点で、生殺与奪の権を(力道山に)握られてしまった、と言わざるを得ないというのが、作者の含意と思われる。
1940年の天覧試合で優勝し🏅下賜された短刀を持つ木村政彦氏。
木村の前に木村なし
木村の後に木村なし
最強の人間であっても、細心の注意が必要であり、普通の人間にあっては、なおさら油断は禁物ということを頭の片隅に置いておく必要がありますね。
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