#竹内流 #中興の祖 #池内雅門太 #竹内久居武極先生 #淡州伝 2020.11.1
#1836年 に #竹内流 8代 久愛(Hisayoshi 、1790-1836)が45歳で早逝した時、二人の息子 久雄(Hisao)は15歳、久種(Hisatsugu)は7歳であった。
1836年(天保7年)といえば #天保の大飢饉(1833)が起こり、幕藩体制が危うくなって来た #江戸時代 後期で #幕末前の時代。 #幕末に活躍する志士達が前後して生まれている。
天保6年(#1835)
#土方歳三 生まれる。
#坂本龍馬 生まれる。
#井上聞多(馨) 生まれる。
#松平容保生 まれる。
天保 7年(#1836)
#榎本武揚(たけあき)生まれる。
#山岡鉄舟 生まれる。
天保 8年(#1837)
#大塩平八郎 (大坂町奉行所の元与力)の乱
勃発。
# 毛利敬親、第14代長州藩主となる。
#三条実美(さねとみ)生まれる。
#板垣退助 生まれる。
#後藤象二郎 生まれる。
#徳川慶喜 生まれる。
この難局において、#淡路 #洲本藩で武術指南を行なっていた #池内雅門太 は、本家道場に召喚され、久雄、久種に家法流儀の奥義を伝授した。
#阿州(注)から来た池内雅門太は、1815年に入門。8年後の1823年に #7代目久孝 (Hisataka、1760-1825)から秘法を伝授され、印可を授かり、#洲本藩 #洲本城主 #稲田家の #武術指南役 となっていた。また、雅門田は7代目久孝師範と共に、#2代目久勝 伝来の兵法書などの書き改め作業などを行なっていた。
(注) #阿州 とは#阿波国 ( #徳島県 )の別称。#徳島藩 (とくしまはん)は、阿波国(徳島県)・ #淡路国 (兵庫県淡路島)の2国を領有した藩。藩庁は徳島城(徳島県徳島市)に置かれた。藩主は外様大名の #蜂須賀氏 )
雅門太は竹内家への恩義に報い道統を継承するため、淡路 洲本藩主稲田氏の許しを得て、1837年に竹内道場に戻り、久雄や久種の指導養育に1850年に没するまで約13年間当たった。
またこの間、雅門太は、流祖久盛(1503-1595)より受け継がれた秘伝文書、兵法書、武芸書など、莫大な資料を書写した。
この中には、二代目久勝(1567-1663)が定めた「掟」や仁義礼智心といった「 #五徳の常 」を歌った「 #心要歌 」、#三代目久吉 (1603-1671)、#四代目久次 (1642-1723)が記した「 #三徳抄 」(1701)などがある。
また、竹内流の技に底流する精神や心を少年に理解しやすいように、「 #兵法初心手引草 」や「 #杖印可秘伝 」などを自ら記すなどして、噛み砕いて教え、流儀を伝え残した。
竹内流の一門一族は雅門太に竹内姓を授け、雅門太は家督を継ぎ #9代目竹内藤一郎久居武極 (Hisaori Bukyoku, n.a1793-1850)となる。
また、雅門太の後見により流儀の奥義を極めた#久雄が #10代目宗家 を継ぎ #藤一郎 を名乗り、#久種 は分家となる #相伝家 の当主となって #藤十郎 を名乗る。以後、相伝家当主は藤十郎を代々襲名することになる。
写真中央が池内雅門太先生の墓石
嘉永三年 五月十三日
武極院一行貫道居士
下記の小野館長のFB記事にあるように、
#池内雅門太久居 の日記(#他国門人尋来記録附り書翰懸合之控 、#熊本県立図書館所蔵 冨田文庫)によれば、久居は弘化4年4月6日から18日まで #連島 に滞在し稽古指導をしてその2年後、嘉永2年(1849)2月18日から3月8日に再び連島に来て稽古して、中田吉兵衛、難波市左衛門、#渡辺利忠治久信 など9名を宗家の門人に取り立てたと記されている。
久居は1850年の5月13日に没しているから、まさしく死ぬ直前に備中の竹内流に技を伝えてくれたのである。その記録によれば、連島の伝書には必勝之巻、裏極意(極意相伝)が存在していたが、習っていなかったので中田吉兵衛などに伝えたとある。
#渡辺利忠治久信 は、#小野館長 から四代前の師範である。#池内雅門太 先生は #竹内流備中伝 にとっても大恩のある方である。
この郷土資料は貴重品のため、現地での閲覧しかできない。熊本県立図書館に行ける方は、是非ご覧いただきたい。
なぜ、熊本県立図書館に?もしやと思い調べると、肥後の竹内流といわれる竹内三統流の矢野広英を訪ねて、訪問先の熊本で亡くなったのかも知れません。
日本武術武道大辞典より抄録
下記の記事を元に、28歳から2年後の1823年に免許皆伝(印可)になったとすると、生誕は1793年-死没は1850年(享年57歳)ということになる。
数年前、北海道にいた家族の遺品から竹内流の伝書が見つかったという方に、伝書を見せていただいた。まさしく、淡州伝の竹内流を稽古されていた方の伝書であった。『なぜ、北海道にあったのでしょうか?』と問われたので、#庚午事変や映画 #北の零年 などについてお話しした。これも池内雅門太先生の縁の繋がりか?
北の零年
庚午事変
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